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腎臓放浪記

腎臓放浪記

臓器移植者からみた「いのち」のかたち

澤井 繁男
シリーズ・巻次 平凡社新書  300
出版年月 2005/11
ISBN 9784582853001
Cコード・NDCコード 0245   NDC 461.15
判型・ページ数 新書   192ページ
在庫 現在品切中
定価770円(本体700円+税)

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この本の内容
目次
「肉体」の理不尽に翻弄され、それでも「生欲」を肯定すること――。透析から腎移植、そして移植腎の死まで体験したルネサンス研究者が、生の内側からいのちの倫理を思索する。 20代、人工透析。30代、腎臓移植。
40代、移植腎の不全・人工透析再開。50代、腹膜透析。
ルネサンス研究者である著者は、若くして腎臓を病み、
以後肉体の理不尽に翻弄されつつ、
いのちの〈再生〉=ルネサンスを我がこととして、生きてきた。
そこで直面した生と死、身と心のかたちとは?
抽象的な「身体」でなく、生身の「肉体」を軸に、
当事者の立場から〈いのち〉の倫理を考える。
はじめに

第一章 腎臓移植を受けたものとして
  1 臓器移植体験者として
    生命を肯定すること/「生欲」、あるいは自家撞着
  2 移植された臓器が死んだ日
    象徴的な死/ドナーが現れた日/思念に昇華された腎/余命としての命
「ありのまま」に投げ込まれて/まだ生きている移植腎/腹膜透析へ

第二章 透析・移植医療あれこれ
  1 摘出されなかった移植腎
    体内にある三個の腎臓/生命倫理「学」の不毛/病院間での意思の隔たり
腎臓を摘出しない理由
  2 体験者無視の不毛さ
    流行としての生命倫理/「透析に専念」?
  3 血液人工透析から腹膜透析へ
    快適な人工透析/腹膜透析へのすすめ/「ゆめ」につながれる生活
まぼろしの尿意

第三章 「からだ」を見つめて
  1 肉体の仮称性――身心【しんしん】と心身【しんじん】
    生身の人間/「身体」と「肉体」/「身心一如」/「身心脱落」
「いかに生きるか」から「なぜ生きるか」へ
  2 毀形【きぎょう】――「異状」という「生
    結核の文学から癌の文学へ/ハンセン病の文学/内的障害者
〈形が毀【こわ】れる〉こと/内側の毀形と外側の毀形/「障害者の文学」を
  3 〈いのち〉の形
    〈いのち〉と〈生身〉/肉体障害者/いのちのかたち
  4 〈いのち〉の感性
    〈いのち〉を感じる/現実の肉塊/死に立ち会う/生きようとする力
すべてはつながっている

第四章 他者からの視線
  1 身障者の加入を拒む「病歴」
    金になる生命、ならない生命/〈負〉ではなく「異なる状態」
  2 理不尽、その正逆
    病気と障害/腹膜器具を持ってイタリア滞在/メディアの偏見
  3 文化人類学者の視点
    「生活の場」に即した倫理を/「商品」と「記号」/いまある現実から出発する

第五章 「いのち」に向き合う
  1 仏教者の視点
    一般論の不毛さ/医師の関心は「臓器の生着率」/仏教者の過信
医学徒になった僧侶
  2 「こころ」と向き合う
    禅宗系の高校での講話/生と死についての感受/宗教と医学
  3 「いのち」を読む
    
おわりに