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日本人はいつから働きすぎになったのか

日本人はいつから働きすぎになったのか

〈勤勉〉の誕生

自ら進んで早朝出勤し、サービス残業にも何の不満を示さない。今日の日本人に見られる「勤勉精神」はいつ誕生し、いかに定着したか。

礫川 全次
シリーズ・巻次 平凡社新書  744
出版年月 2014/08
ISBN 9784582857443
Cコード・NDCコード 0236   NDC 366.621
判型・ページ数 新書   256ページ
在庫 在庫あり
定価902円(本体820円+税)

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この本の内容
目次

常態化した長時間労働、進んで引き受けるサービス残業、苛酷なノルマや理不尽なパワーハラスメントの横行──。過労死・過労自殺への道を、みずから歩みながら、不満を表明することさえしない日本人。そうした「勤勉精神」は、いつ生まれたのか。どういう系譜をたどって、今日にいたったのか。私たちを「勤勉」に駆りたててきたものは何か。そのメカニズムを歴史的に探る。

目次
序章 日本人と「自発的隷従」
日本人の勤勉性を支えているもの/ラ・ボエシの『自発的隷従論』/「野球帽をかぶりたくなれ」/「自発的に忠誠をつくす構造」とは
第一章 日本人はいつから勤勉になったのか
速水融氏の勤勉革命論/「働きすぎ」も歴史の所産/農民の長時間労働は江戸中期から/M・ウェーバーと勤労のエートス/勤勉革命論の独創性と可能性
第二章 二宮尊徳「神話」の虚実
タキギを背負った金次郎少年/「手本は二宮金次郎」/頼みとするのは自分の労働力のみ/二宮尊徳は二時間しか寝なかったか/「二時間」ではなく「ふたとき」/寝る間も惜しんで村を巡回
第三章 二宮尊徳は人を勤勉にさせられたか
木の根掘りの老人に十五両/「二宮にも困ったものよ」/怠け者に処罰を下す/人を金品で吊るのを好む/勤勉な入百姓に逃げられる/「勤勉」になることを拒む村民
第四章 浄土真宗と「勤労のエートス」
二宮尊徳と「ピューリタンの血」/内村鑑三とM・ウェーバー/浄土真宗門徒のエートス/M・ウェーバーの浄土真宗観/北陸の真宗門徒と入百姓/ニッセサマと『農民鑑』/よろこんで耕し、いさんで耕す
第五章 吉田松陰と福沢諭吉
R・N・ベラーと武士の倫理規範/吉田松陰、ペリー暗殺を図る/吉田松陰における勤勉と熱誠福沢諭吉、借りた蘭書を盗写/福沢諭吉と近代的な勤労観/福沢諭吉とキリスト教/「ウジ虫の本分」
第六章 明治時代に日本人は変貌した
「修身」で復活した二宮尊徳/なぜ二宮尊徳は再評価されたのか/真宗門徒による開拓と移民/日本移民に監視者は不要/近代化に対する危機意識/明治期の農村とその休日/徳冨蘆花が見た「不浄取り」
第七章 なぜ日本人は働きすぎるのか
「あとの四時間で寝食する」/日が暮れてから「屎尿ひき」/大正時代の「精農と惰農」/小学生が発した素朴な疑問/渋谷定輔を駆り立てたもの/「ほんとうは働くことが好きなんだ」/実の子からオジチャンと呼ばれる
第八章 産業戦士と「最高度の自発性」
経営の神様・松下幸之助の原点/黒澤明監督の「戦意高揚」映画/戦時体制下に見る「モラルの焦土」/「花の命も姿もいらぬ」/大塚久雄と「最高度の自発性」/「最高度の自発性」とは何か
第九章 戦後復興から過労死・過労自殺まで
国敗れて勤勉性あり/民主主義と自主性・自発性/商魂を見せつけた小川菊松/PHP運動という名の宗教/働くことが「生きがい」/「意欲と心構え」が評価される/「強制によるものとは考えられない」
終章 いかにして「勤勉」を超えるか
「怠惰」は許されないのか/「ウサギ小屋に住む働き中毒」/シュレージェンの農業労働者/怠ける勇気、怠けの哲学


あとがき

参考文献